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ブランド概要



経営理念

ジェイコブ&コーの原動力は創造性です。ジェイコブ・アラボは、ジュエリーや時計からスタートした当初から、美しく革新的な製品やデザインを生み出してきました。商品の幅広さは、世界が見たこともないような素晴らしい作品を生み出すというブランドの飽くなき探求心を示しています。

ジェイコブ&コーの夢は常に、これまでにないものを発明することで、不可能を現実にすることです。そして使命は、美しくダイナミックでユニークな時計とジュエリーの芸術品を創造することです。


ジェイコブ・アラボ

ジェイコブ&コー創設者兼会長

ジェイコブ&コーの創設者であり会長であるジェイコブ・アラボは、家族のより良い生活を求めて旧ソ連からアメリカに渡り、彼の父と母は、ジェイコブと4人の姉妹とともに、必要最低限のものを持ちアメリカに移住しました。

ジェイコブ・アラボは、アメリカでの最初の夏、時計職人の見習いとして高級ジュエリーと時計の世界に足を踏み入れました。

「私が13歳のときに父がプレゼントしてくれた時計は、2つのタイムゾーンが表示され、文字盤には金メッキの世界地図が描かれていました。その時計には2つの機械式ムーブメントが搭載されており、そこから5タイムゾーンウォッチのアイデアが生まれたのです。見習い期間中、私は時計の分解方法を学び、 いかに多くの部品があるかを知りました。その時、私は時計作りが大好きになり、自分の時計を作ることを夢見るようになりました。そこでの経験が今でも私を奮い立たせ、原動力となっています。」

やがてアラボ氏は移民向けのプログラムを利用し、宝飾品の訓練を受け、年齢を偽り、地元の工場で週給125ドルの仕事先を見つけました。彼はジュエリーを組み立てることが得意でしたが、他人のデザインを組み立てるのは彼にとって満足のいくものではありませんでした。

「大衆向けのジュエリーを作るのは退屈で、もっとスタイリッシュにしたかったんです。私は家に姉妹と母の5人の女性がいて、いつも彼女たちのイヤリングやブレスレットを直して育ちました。私は手先が器用だったから、勤めていた会社よりももっといいものができると考えていました。」

そこで仕事が終わると、寝室に仮設のワークスペースを作り、自分の作品をデザインし、製造し始めました。彼のデザインは評判を呼び、顧客も増え始め、やがて彼は、仕事よりもサイドビジネスで稼ぐようになりました。

しばらくして、確かな顧客基盤を得たジェイコブは昼間の仕事を辞め、ニューヨークの賑やかなダイヤモンド地区に小さなブースを開き、ジュエリー・ブランドや個人顧客のためのコレクションをデザインし始めました。

「私は、旧ソ連で写真の訓練を受けていたおかげで昔から良いものを見極めることができ、それが物事をデザインする上で役立ちました。」

1986年、アラボ氏は自身のラグジュアリーブランド、ジェイコブ&コーを立ち上げました。アラボ氏は自らの名を確立しつつありましたが、心の片隅ではまだ時計のことを考えていました。

「最初はジュエリーに集中していましたが、頭の片隅には時計があり、大人になったら、時計を作るんだと言い続けていました。」

宝石商として成功を収めたアラボ氏は、再び時計の世界に戻ってきました。高級時計を作るという夢を実現するため、彼はスイスにサプライヤーを探しに行きました。

「スイスの業者たちは、私を一蹴した」と彼は振り返ります。「彼らはアメリカ人を拒むかのように、とても無礼で、値段も高すぎました。そこで私は、スイス製であることを必要とせず、よりシンプルなクォーツ時計から始めることにしました。ベゼルやストラップを変えることで、 好きなときに時計の外観を変えられるファイブ タイムゾーンという時計を作ったのです。最初に作った時計は今でも愛用しています。あの時計はファッションウォッチに革命を起こしました。」

スーパーモデルのナオミ・キャンベルがファイブ タイムゾーンの腕時計を身に着けている写真を撮ったことで、ジェイコブ&コーが時計の世界で有名になるきっかけとなりました。 尚且つ、ジュエリービジネスも大成功を収め、セレブリティたちが彼のユニークなデザインを熱望するようになりました。

数年後、アラボ氏は再度スイスに挑戦し、今度はより良い評判を得ることができました。ブティック時計メーカーと共同で、世界初となる31日間のパワーリザーブを持つバーチカル・トゥールビヨンをデザインしたのです。

アラボ氏はこの壮大な時計に名前をつけていなかったので、ある顧客がジェイコブ&コーの店舗に足を運び、この珍しいデザインについてアラボ氏に尋ねたところ、アラボ氏は「保証金をくれるなら、あなたの名前をつけてあげますよ。」と答えたのです。彼はそれを承諾し、この新しい時計は「クエンティン」と呼ばれるようになりました。その後、映画監督のクエンティン・タランティーノが自らクエンティンを手にし、『ヴォーグ』の表紙を飾りました。このクエンティンは36万ドルから販売され、アラボ氏の時計作りの原点となりました。

「本格的な複雑機構の時計に挑戦し、これまでにないムーブメントを開発したいと考えたのです。」とアラボ氏は語ります。「SF24、エピックXスケルトン、フライング トゥールビヨン バゲットウォッチ、そしてアストロノミアから始めました。 他のスタッフは、ルカ・ソプラノと彼のデザインスタジオ、アトリエ7h38に資金を投じるのはやめようと反対しましたが、私はやることにしました。そして、他の多くのスイスの時計メーカーから賛同を得られなかったアストロノミアを、ルカは賛同してくれたのです。」

アラボ氏の創造は型にとらわれず、高級時計製造の世界では独創的なものですが、ジェイコブ&コーは伝統的な時計製造の機構から、躍進的な機構を見つけることに注力してます。高度な複雑機構はしばしば伝統を覆しますが、それでもこのブランドは時計学の基本的なコンセプト を反映しているのです。

アラボ氏はジュエラーとして、アーティストの眼差しで希少な宝石を調達しています。彼の創意工夫とインスピレーションは、最高級のジュエリー製造技術と融合しています。不可能を現実にすることにインスパイアされたこのブランドは、 ジュエリーと高級時計の両分野で唯一無二の道を切り開いてきました。

ジェイコブ&コーはこれまで、セレブリティスーパーカーメーカーであるブガッティ、伝説のサッカー選手リオネル・メッシなど、最高のパートナーと提携してきました。

「私は先駆者として記憶されたいのです。私は技術者でもエンジニアでもありませんが、投資と開発をし、自分のビジョンを実現することに恐れを抱きません。」

ジェイコブ・アラボは、ボロボロになっても、最高級の作品を生み出し、彼はこれからも立ち止まることはないでしょう。ジェイコブ&コーは、高級時計の性能とハイジュエリーの限界に挑戦することを約束します。アメリカの英雄、ジョン・ポール・ジョーンズ船長の言葉を引用しながら、アラボ氏は笑顔でこう語ります。「私はまだ創造を始めていない。さあ、創造はこれからだ。」


ジェイコブ&コーの信条

大胆不敵:ジェイコブ&コーは、夢の中にしか存在しなかった時計やジュエリーを作ることを恐れません。

先駆者:ジェイコブ&コーは、高級時計製造の新境地を切り開き、伝統的な手法で先鋭的な新しいタイムピースを製作しながらも、高級時計製造にとって新しい複雑機構やその組み合わせを生み出すことで、高い評価を得ています。

革新的:ジェイコブ&コーは、他の時計メーカーと同じでは決して満足しません。

クリエイティブ:ジェイコブ&コーのコレクションは先鋭的なアイデアにあふれ、高級時計とハイジュエリーの新境地を開くデザイン、複雑機構、コンビネーションを提案しています。

リスクテイキング: ジェイコブのハイコンプリケーションの大半は、時計の伝統を重んじるスイス人に言わせれば、当初は不可能と思われていました。しかしジェイコブ&コーは、SF24、アストロノミア、オペラ、ツイン ターボ、ツイン ターボ フューリアスなど、これらのアイデアを現実にすることに全力を注いでいます。


ジェイコブ&コーの目標

不可能を現実にするために。ジェイコブ・アラボは、世界が見たこともないような時計やジュエリーを創造することを生きがいとしています。アストロノミア・コレクションを例にとれば、手首に銀河系を再現するというもので、多くのスイスの時計メーカーはこのアイデアを不可能だと考えていました。アラボ氏はこの難題に挑戦し、このタイムピース、そしてその多くのバリエーションを現実のものとし成功を収めたのです。

アラボ氏は、同じような時計やジュエリーを何百個も作って満足することはありません。彼は創造と革新に生き、常に次の画期的で革命的なアイデアに取り組んでいます。ジェイコブ&コーは、アメリカの大胆さと起業家精神に、スイスの高級時計製造とハイジュエリー製造を融合させた、異色の時計会社です。両方の世界に足を踏み入れたアラボ氏とジェイコブ&コーは、現状を打破することに専念しています。